ゲームを作りたかった気がする

何年もゲームを作ろうとしては挫折してきた。 なんでゲームを作りたいと思っていたかわからなくなってしまった。 伝えたいストーリーがあるなら小説を書けばよい。伝えたい一瞬があるなら絵を描けばよい。 そうじゃなくて、ゲームを通してしか伝えられないものを伝えたいと思っていたはずだった。

体験を通した、感情の再現装置としてのゲーム。 感動を他人と共有したかったんだと思う。ゲームを作れば自分の感情を他人にシェアできると思いこんでいた。 技術があれば、アイディアが降ってくれば。それも勘違いだったと思う。 本当にやるべきことは人間の感情にちゃんと意識を向けることだったのではないか。 自分の感情に対してもっと素直になるべきだった。なにに感動して、なぜ感動したのか、もっと考えるべきだった。 他人の感情をもっと知ろうとするべきだった。身近にいる人たちにもっと向き合うべきだった。 それをやらずに、他人を感動させるものなんて作れるはずがなかった。Unityを開く前にやるべきことがあった。 一方的に共感して欲しかっただけで、伝えたいことなんて何もなかったんだなと気づいてしまった。 この数年自分はなにをしていたのだろう。 完成しなかったのではなく、作り始めるスタートラインにさえ立てていなかった。 もちろんゲームはそういうものだけじゃない。頭空っぽにして楽しめるものもあるし、技術的にすごいものもよい。それはそれで素晴らしい。 ただ、自分が作ろうとしたものはそうではなかった。でもそれはもう諦めたほうがいいかもしれない。 出来のいいゲームをやると感動と同時に悔しい気持ちになる。自分もこの体験を作りたい。 それがときどき呪いにように感じることがある。ただのプレイヤーであれたらいいのに。 今日はもう寝たほうがよさそう。メリークリスマス。